60年安保と学生運動について
先月、保守系の論客として知られたの西部邁 東京大学元教授が亡くなりました。60年安保闘争の際、全学連(全日本学生自治会総連合)やブント(共産主義者同盟)の指導者の一人だったことはよく知られています。(その後、運動から離脱。)
60年安保をめぐる学生運動を理解するには、当時の政治情勢や新制大学発足以降の大学の課題を認識することはもちろん、学生運動内部で繰り広げられた党派闘争の知識も必要となり、簡単なこととは言えません。様々な立場にいた当事者たちの複数の視点から、回顧録や試論を参考にされることをお勧めします。
以下の書籍は、本文中で言及した、当事者(西部邁)による60年安保闘争とブントに関わった人たちについての回想です。
西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』(洋泉社、2007年)(文藝春秋、1986年)
西部邁と大学に関わる”事件”に、東京大学教養学部の人事をめぐる騒動があります。この事件を切っ掛けに彼は東大を辞職したわけですが、以下の書籍はその顛末を記したものです。教授会や学者の実態を理解するうえでも助けになるかもしれません。
「職業実践力育成プログラム」について
去る12月、本年度の「職業実践力育成プログラム(BP:Brush up Program for professional)」の認定について、文部科学省から発表がありました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/bp/index.htm
この事業は、平成27年(2015年)から開始されており、大学等において、主に社会人を対象にした実践的・専門的なプログラムが提供されています。
大学職員に関係するところでは、平成28年に認定を受けた京都大学の履修証明プログラム「京都大学私学経営アカデミー」等があります。
*京都大学私学経営アカデミー
https://www.shigaku-keiei.academy/
大学行政管理学会の会長や複数の大学で理事の経験を持つ著者による大学経営論です。
福島一政『大学経営論 実務家の視点と経験知の理論化』(日本エディタースクール出版部、2010年)
「文化審議会著作権分科会報告書」について
平成29年4月に出された「文化審議会著作権分科会報告書」のなかで、教育現場でさらにICTを活用した教育を推進するため、著作権法の改正等が提言されています。
*文化審議会著作権分科会報告書http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/pdf/h2904_shingi_hokokusho.pdf
以前の記事でも書きましたが、大学教育にとってICTはますます欠かせないものになっていくでしょう。
教室のなかでほとんど完結していた教育システムが電子空間に広がるようになると、授業等で使用する著作物の扱いにも注意が必要になります。
現状の法体制のなかで、大学教育に著作物を利用する際の原則的な扱いについては、例えば、大学学習資源コンソーシアムによる「大学学習資源における著作物の活用と著作権」が参考になると思います。
http://clr.jp/servicemenu/index.html
高校紛争について
先日、大学紛争について書きましたが、同時代の高校紛争については語り継がれる機会が少ないように思います。
高度成長期の大学進学率の上昇の背景には、高校進学率の上昇を見逃すことはできません。中卒労働者が「金の卵」と言われた時期から、高校が義務教育に準じる学校になるまで、そう長い期間は必要ありませんでした。
高校紛争は、大学紛争の影響があったことは間違いありませんが、高校教育の拡大に伴う様々な矛盾の噴出という側面もあったのではないでしょうか。今からは想像も難しいと思いますが、教室などの建物の占拠、定期試験や授業の放棄(ボイコット)、集会やデモ、卒業式などへの妨害や乱入、ハンスト等、全国各地の高校で紛争が頻発しまし、社会問題となりました。
昭和44年(1969年)に文部省から出された通達「高等学校における政治的教養と政治的活動について」によって、生徒の政治活動は禁止されることになりました。因みに、この通達は選挙権年齢の引下げに伴う新たな通知が出される平成27年(2015年)まで有効でした。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/118/shiryo/attach/1363604.htm
筆者は、高校生の頃に出会った村上龍『69 sixty nine』(1987年、集英社)で高校紛争を知りました。その後、四方田犬彦『ハイスクール1968』(2004年、新潮社)も興味深く読みました。
高校紛争についてまとめた書籍はあまり多くありませんが、例えば以下のようなものを挙げることができます。
柿沼昌芳、永野恒雄、田久保清志『高校紛争 戦後教育の検証』(批評社、1997年)
BYODについて
唐突にBYODと言われても、直ぐにその意味を理解できる大学関係者は案外少ないかもしれません。
BYODとは「Bring your own device」の頭文字で、その正式な定義があるわけではないと思いますが、一般に大学におけるBYODとは、学生の個人保有の端末(パソコン、タブレット等)を学内ネットワークに接続し、授業やその他の学習、管理運営(履修登録、アンケート、掲示版等)に利用できるようにすること、くらいの意味と理解してよいかと思います。
端末がずらりと並んだパソコン教室は払拭され、学生は教室、図書館、学食、または木陰のベンチなど、学内のあちこちでパソコンを使いこなすキャンパスのイメージになるでしょうか。
BYODは、単に大学が提供していたパソコン環境を学生個人に委ねるというのではなく、その分、無線LANの整備、ソフトウェアの包括ライセンスの取得・提供、セキュリティ対策等、大学が学生に提供するサービスの組直しを意味しています。
学内のどこでもパソコンが使える環境が整備されれば、教育内容・方法が影響を受けることが予想されます。LMS(学習管理システム)の使い勝手も向上するでしょう。
また、今後も要求されるICT環境は高まる一方だと考えられ、教職員の業務の限界を越えてくるでしょう。その対策として、学生を活用する、いわゆるワークスタディやピアサポートの比重が高まるとすれば、教職員の業務の組直しも迫られます。
大規模総合大学で本格的にBYODを導入した大学は、管見する限り九州大学が最初ではないでしょうか。平成25年度入学生からパソコンが必携となっています。それに関する記事を一つ紹介します。
≪追記(2018,4/6)≫
高知大学では、平成9年度入学生からBYODが始まっていたとのことです。
http://www.iic.kochi-u.ac.jp/ipc/support/
国立総合大学で早くからBYODに取り組んだ大学としては、山口大学(H14~)、鳥取大学(H15~)、埼玉大学(H17~)、金沢大学(H18~)などが挙げられます。
九州大学は、現在、キャンパス移転の最終段階を迎えています。先例として、筑波大学(東京教育大学)、広島大学、金沢大学などが挙げられますが、時代情勢から考えて、国立大学の大規模移転はこれが最後ではないでしょうか。
大学出版部について
大学が社会との接点をもつ重要な方法の一つとして、出版という形態があります。今日、出版業界全体としては低迷期にあると言われていますが、その一方で、出版部をおく大学が増加しています。現在、筆者が確認できる範囲だけでも、国内に50ほどの大学出版部があるようです。
大学出版部の起源は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の出版部にあり、約500年の歴史があります(それぞれのウェブページに、その歴史に関する概説が載っています)。また、米国の有力大学が確固たる出版部を有しているのは周知のことかと思います。
*オックスフォード大学出版局(Oxford University Press)
http://global.oup.com/?cc=ca
*ケンブリッジ大学出版局(Cambridge University Press)
http://www.cambridge.org/
*米国大学出版部協会(Association of American University Presses)
http://www.aupresses.org/
日本の大学出版部の嚆矢となったのは、明治5年(1872年)に設立された慶應義塾出版局(慶応義塾大学出版会(昭和22年設立)の前身)とされています。先にも述べたように、今日では多くの大学出版部が設立されていますが、一般に大学出版部が認識されることは多くないように感じます。
国内30の大学出版部が加盟する団体として、大学出版部協会(昭和38年設立)があります。協会が発行する雑誌「大学出版」は、現在ではウェブ上でも読むことができます。
*大学出版部協会
http://www.ajup-net.com/
以下の書籍では、大学出版部協会の歴史とともに、加盟する各大学出版部の概要も掲載してあります。
『大学出版部協会 50年の歩み』(大学出版部協会、2013年)
大学と文学について
昨日、大学紛争についてふれましたが、当時の大学や学生を知るために、文学(小説)から入るという手段もあると思います。政策や制度、統計資料等を通して理解できる大学とは趣が異なりますが、「感覚」として認識できる内容も重要なことではないでしょうか。
1960年代前後の大学が舞台の小説として、柴田翔『されどわれらが日々-』(1964年)、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて 』(1969年)、三田誠広『僕って何』(1977年)、島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』(1983年)などを挙げることができるでしょうか。米国のジェームズ・クネン『いちご白書』(1968年)は、映画も有名です。
本文中で紹介した『されど・・・』、『赤頭巾・・・』、『僕って何』は芥川賞を受賞し、『優しい・・・』は芥川賞候補になりました。大学という場所、学生という時期が、特別な意味をもっていた時代だったということでしょうか。
多くの小説で学生や大学教員が登場しますが、大学職員を主人公にした小説はあまり見かけません。以下は、丸谷才一の初期の小説ですが、私立大学職員の日常とその過去が描かれています。
年頭に(1968年について)
2018年最初の投稿ということで、温故知新、少し歴史の話を書きたいと思います。
ちょうど50前の1968年は、世界の大学にとって、転換点の一つになった年でした。世界で同時に大学紛争がピークを迎え、その後、急速に鎮静化していきました。大学紛争や大学を取り巻く環境の変化が、1970年代以降の大学改革にどのような影響を及ぼしたのかは国によって事情が異なるようです。
日本では、1971年(昭和46年)に出された、いわゆる四六答申(中央教育審
議会「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)」)において、大学に関してだけではなく、学校教育全体について提言がなされました。
四六答申の提言のうち、実現されなかったものも多くありましたが(高等教育の種別化等)、高等教育計画の策定や私学助成の開始に繋がり、高等教育の量的規模が抑制されることになりました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309492.htm
米国のPODが1976年に設立されたことは以前の記事で書きましたが、そのことにも象徴されるように、1970年代以降の米国では、ユニバーサル・アクセスの段階に対応した大学改革が 進められることになりました。
大学紛争が世界で同時発生したのはなぜか、国際的視野で分析してありまるのが以下の書籍です。日本の大学紛争は世界的に見てどのように位置づけられるのか考えることができます。
ノルベルト・フライ『1968年 反乱のグローバリズム』(みすず書房、2013年(原著は2008年))
以下の書籍では、国内外の大学紛争の記事が多くの写真付きで掲載されています。表紙は、橋本治(後の作家、評論家)による東京大学駒場祭のポスターです。
『新装版 1968年 グラフィティ』(毎日新聞社、2010年)